こんにちは。
岩瀬 晃です。
日本人がよく使う言葉で、「ごめんなさい」ってありますよね?
電車の車内アナウンスでの「申し訳ございません」も、よく耳にする言葉です。
なんというか、日本は「謝ること」が文化になっているような感もありますね。
ちなみに以前「謝罪の神様」という日本の映画を見て、めちゃくちゃ面白かったです。笑
ちなみにアメリカでは、日常生活でこの「ごめんなさい」という言葉がほとんど聞かれません。
「I’m sorry」という言葉はたしかに登場しますが、これは「ごめんなさい」という意味ではないんです。
「え?I’m sorryってごめんなさいって意味じゃないの??」って思われたかもしれませんが、はい、そうじゃないんですよね。
僕がアメリカで生活していた時に気づいたことの一つでもあります。
そもそも” Sorry “というのは、” 残念な、気の毒な ”という意味です。
例えば、友達がフラれて悲しんでいるという時に、” Oh, I’m sorry ” (あぁ、それは悲しいね。私も残念だわ)と、共感して声をかけてあげる、そんなシーンで使われる言葉なんですよね。
では、なんでこの “I’m sorry”が、日本で「ごめんなさい」という謝罪の表現だと理解されるようになってしまったんでしょうか?
これは、日本とアメリカ、それぞれの国の文化の違いが大きく影響しています。
例えば、ある会社に電話して、その時に電話が込み合っていてオペレーターが出れず、自動音声が流れてきたところをイメージしてください。
日本の場合、
「大変申し訳ございません。ただいま電話が大変込み合っております。オペレーターが出るまでそのまましばらくお待ちください。」
ですよね。
アメリカの場合、
” We’re sorry – all the lines are busy and we are unable to assist you at this time. Please hold until next available operator assist you. ”
みたいな感じです。
で、ここで日本人がこの英語のメッセージを聞いたら、「あ、We’re sorryは、” 申し訳ございません” なんだな」と、普通に理解しちゃいますよね。
でも、ここでの ” Sorry “は、あくまでも 「あなたの悲しみを私もわかります。残念です。」という、「共感」であり、「謝罪」ではないんです。つまり、電話がつながらないのは、会社のせいじゃなく、不可抗力であり、「まー、そういう時もあるよね。そういう時はつらいよねー」という感じなわけですね。
これが日本だと、「電話が込み合っているのは、我々の至らないところでございます。」という「謝罪」な訳です。
もちろん、こういう精神があるからこそ、日本はいろんなサービスのクオリティが高くなり、それが国としての価値を上げてきて、今のような経済大国になった部分は大いにありますが
ただ、なんというか、ほぼ自動的に「自分が悪い」という考え方になるのも、一歩間違えると自虐的すぎたり、他人に対して必要以上に厳しくなってしまうので、それはそれでバランスが大事なんじゃないかなと思います。
ちなみに、アメリカにはじゃあ「謝罪」の精神がないのか、というと、ちゃんとそれに対応した言葉があります。
正式なものでいうと 「I Apologize」、カジュアルなものでは「Excuse me」ですね。
“Apologize”は、明らかに自分のせいで誰かに被害を及ぼしたような場合に使う、「申し訳ありません」「ごめんなさい」「謝ります」という意味ですね。
” Excuse me” は有名だと思いますが、いわゆる日本語でいうところの「ちょっとすみません」的なニュアンスです。ちなみに “Excuse”は、” 許す ” という意味なので、実際にアメリカ人の方がこの言葉を使う時は、”私が○○するのを許してください”というニュアンスなんですね。なので、これも実際には、「謝罪」というニュアンスではなく、あくまで「相手の許しを乞う」というスタンスなんですね。
このように、当たり前のように訳されている言葉でも、実は文化的な背景の違いで、本当の意味やニュアンスとは異なっている場合があるということですね。で、こういった違いを、「へぇーーー!」と理解していくことが、「外国語を学ぶ」や「外国を知る」ことの面白さや醍醐味なのではないかな、と思います。
自分が常識だと思っていることが、実はそうではないということ
それを知っていくことが、自分を客観的に知ることにつながり、価値観が広がることにつながり、
最終的には心の平和につながっていくのだろうなと思ったりするのです。