こちらの動画、たまたまジム・キャリーの映画を探してるときに
Youtubeで見つけたんですけどね。
で、聞いてみたら
ヤバイ。
これはヤバイです。
内容はある意味どこかで言ってるようなことと同じことかもしれないのに
使っている言葉
そして
言っている人
それが違うだけで
これほどまでに
またインパクトが違うものなのかと
改めて思い知らされました。
で
全部英語なので
頑張って、昨日の夜中に
日本語訳を作りました。(昨日の夜の時点で少し体調がおかしかったのにも関わらず、自分を止められませんでした)
なんでそんなに頑張ったかというと
なんでそんなに夢中になったかというと
それほどに
自分が感動したからであり
それほどに
他の人にも見てほしいと思ったからです。
では
以下、その日本語訳です。
ぜひ、動画を見ながら見てもらえたらと思います。 (BGMがとてもいい効果を出してるので)
(ちなみにYoutube内のボタンで、英語字幕も出せます。)
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僕は、僕の父による愛とユーモアが周りに与える影響を見て育った。
そしてそれは、僕自身の目に映る世界を大きく変えた。
そして、僕は思った。
「これって、なんてすばらしいんだ」
「これは、自分がやるに値することだ」
と。
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プロのコメディアンとして10年の月日が過ぎた28歳のある夜、ロスアンゼルスで
僕は気がついたんだ。
僕の人生の目的は、ずっと
悩みや心配事から人々を解放することだったんだ、と。
父と同じように。
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僕と会うと、誰もが最高の「自分」になれる
そんなことを、僕はしてきたんだ。
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あなたは、どうやって世界に貢献する?
あなたが持っている才能で、人々が必要としているものはなんだろう?
あなたが見つけるべきことは、それだけだ。
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僕は、自分の経験から言える。
あなたが誰かに対して与える影響こそ、
最高に価値のある通貨だ、と。
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僕たちは
僕たちが作りあげた化身ではなく
映画に出てくる映像でもない
僕らは輝く光なんだ。
そして、それ以外はすべて、煙であり、鏡なんだ。
それらは僕らを紛らわすけれども、でも、本当の意味で影響を与えることはないんだ。
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僕らが求める「それ」(自分の幸せ)は
僕らの人格ではなく
僕らが他人をどう見るかでもなく
発明や偽装でもなく
努力すらも超えたところにある
このゲームにあなたは参加することはできる
争って、戦って、
いろんなやり方でトライすることもできる
でも
ホントウの「それ」を手に入れるには
あなたは「鎧」を脱ぎ捨てなければならない。
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あなたが、「受け入れてもらう」ことを世界に求めると
この世界からあなたは「見えない人」になってしまう。
輝く光を、何物にも遮らせてはいけない。
最高のあなたを「見られる」という、リスクを冒すんだ。
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僕はこれまで、みなさんに、夢や富や名声をぜひ手に入れてもらいたいと、よく口にしてきました。
なぜなら、そうすることで、「心が満たされる」という感覚が、そんなものからは得られないないのだということに、みなさんに気づいてもらうことができるからです。
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あなた方の多くと同じように、僕も、世の中に出て自分よりも大きなことに取り組むことを不安に思っていました。
しかし、自分よりも賢いある人が、自分よりも大きなものは存在しないということに気づかせてくれたのです。
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僕らの目は、ただ「見る」だけのものではなく、「映し出す」ものでもあります。
目の前で見えてるものとは別のストーリーを、常に上映しているのです。
そのストーリーを書いているのは「怖れ」であり、
そのストーリーのタイトルは、「私はいつまでたっても、十分にはならない」。
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僕は、困難に遭遇した時、それを何か有益なものだと意図的に捉えるようにしているんだ。
そうすれば、その困難に、最も建設的に取り組むことができるから。
あなたは、あなたのスタイルでやればいいんだ。それも楽しみの一つだから。
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人生における出来事は
あなた「に」起きるものじゃない。
あなたの「ために」起きるのだ。
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あなたの選択肢は、ただ二つ。
「愛」か、「怖れ」か、だ。
いつでも「愛」を選ぼう。
そして、決して「怖れ」に、あなたの遊び心を消させてはいけない。
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最後に残るのは、
最初からあなたの心にあったものだ。
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僕の魂が、僕の体の中にあるのではない。
僕の体が、僕の無限の魂の中にあるのだ。
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あなたは、したくないことをしても失敗する可能性がある。
だったら、自分が好きなことをしてみることに挑戦した方がいいじゃないか。
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力を抜いて、いい人生を夢見ようよ。
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あなたは人生のすべての時間を、亡霊に怯え、未来に怯えることに費すこともできる。
でも、実際に存在するのは、「いま、ここ」で起きていることだけなんだ。
そして、今この瞬間に、「愛」か「怖れ」かで選ぶ決断だけなんだ。
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僕らの多くが、「現実」という名の見せかけの「怖れ」によって、選ぶ道を決めてしまう。
僕らが本当に欲しいと思うものは、あまりに非現実的で、手に入りそうになくて、期待するのなんてバカバカしく思えるから、僕らは、それらを欲しいなんて宇宙にお願いすることをしない。
で、僕が言ってるのは
「あなたがそれをお願いしてもいいんだっていう証拠が、”僕”なんだ」
ってことなんだよ。
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いかがでしたか?
でね
タイトルに書いた
「”あなた”が生きる意味」
なんですけどね
正直
このビデオの内容自体は
他でも散々言われてることかもしれないとは思うんだけれど
でも
”僕の”心への響き方は
他とは違ったんですね。
でそれは
「言う人が違ったから」
そしてその結果
「使われる言葉・表現が微妙に違ったから」
だと思ってます。
と
いうことは、
です。
必ず
誰もが
「その人ならでは」の何かを
持っている
ということだと思うのです。
例えば
同じ知識であっても
同じ能力であっても
「あなた」という色がついた段階で
「あなた」から、それを欲しい
「あなた」だから、伝わる
という人が
必ずいるっていうことなんです。
そして
その人数が多いか少ないかなんて
全く関係ないのです。
以前、書家の相田みつをさんが
こんな詩を書いていたのを思い出しました。
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あなたにめぐり逢えて ほんとうによかった 生きていてよかった 生かされてきてよかった
あなたにめぐり逢えたから つまづいてもいい ころんでもいい
これから先どんなことがあってもいい あなたにめぐり逢えたから
ひとりでもいい
こころから そういってくれる人があれば
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そう
そういうことなんだなって
腑に落ちました。
それが
僕らひとりひとりが「生きる」意味
「存在」する意味なんだな、と。
それが
「あなたが、勇気を出して
あなたを、表現する」
ことの意味なんだな、と。
ジム、素敵なメッセージをありがとう。